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大隅国建国1300年と隼人の反乱

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10月20日(日)霧島市隼人町の隼人塚に武者行列が次々に到着しました

中には子供武者や女武者の姿もあり、手には「隼人浜下り」ののぼり旗を持っての行列です。

到着後すぐに神事が始まりました。

隼人浜下りは、西暦720年にこの地で隼人の反乱があり、1年半におよぶ朝廷軍との戦闘で、隼人族に1400人もの犠牲がでました。この霊を鎮めるためのもので、浜之市港で放生会(ほうじょうえ:とらえた生き物を山野や川海に放つ儀式)も行われます。

隼人族は、鹿児島湾奥の先住民で、父祖からの山野で自然とともに生活を営んでいました。

大和朝廷は、713年大隅の地に大隅国(今年で1300年目にあたります)を制定し、大宝律令により南九州のこの地に公地公民による班田収受の法(全国の土地、住民は国の所有物で、耕地を配分し税金を課す)を実行するために国府を置きました。

国府は、現在の霧島市国分府中に置かれたといわれています。(現在の祓戸神社あたり。)

朝廷は、国府制定の翌年に現在の福岡や大分県から住民200戸約5000人を移住させました。これらは朝鮮半島からの渡来人を多く含み、高い技術と知識を持つ集団で国府の機能を生かすことを目的にしたものです。

このことで、この地の先住民である隼人族は納税のための戸籍をとられるなどしたことに反発して、720年に国府を襲い、国守を殺害いたしました。

これを起源としたものか、霧島市内には、韓国宇豆峯神社や韓国岳という朝鮮半島に関連した名前が残されています。

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