文久三年、薩摩藩によって鹿児島市を流れる稲荷川沿いの滝之上にあった本局の分局として設置されました。工場の動力として水車が用いられ、また火薬の原料となる硫黄は硫黄島以外にも地元の霧島産も利用されたました。この工場で生産された火薬は、戊辰戦争などで活躍することになりますが、西南戦争に際しては西郷軍に利用されると危険性が増すということで、明治十(1877)年三月十日に、軍艦「春日」の艦長ら上陸により破壊されることになります。
住所:〒899-4462 鹿児島県霧島市国分敷根
宮浦宮は、古く「延喜式」にも記載されている歴史ある神社で、境内に並び立つイチョウは、神武天皇ご東征前の仮の宮居であったことを記念して植えられたと伝えられています。向かって右側の木は寛政3年(1791)の大火で火傷を受け、左の木には明治10年の西南戦争にて小島から官軍の砲弾を受け、幹に弾痕が見られます。
当時は日州街道が通る大きな港町だった為、官軍側も西郷軍側もこの場所を抑えたかったようです。共に樹齢1,000年以上といわれているこ2本このイチョウは県文化財に指定されており、春先には樹幹に若葉を付け、秋は黄葉、初冬になると境内が黄色のじゅうたんを敷きつめたように風情があります。
住所:鹿児島県霧島市福山町福山2437番地
雄大な桜島、錦江湾や壷畑などの自然を眺めながら、ゆっくりとお食事ができる、くつろぎと癒しの空間。玄米黒酢「桷志田」を醸造している壷畑の見学や、黒酢関連商品のショッピングも楽しめます。
黒酢の郷 桷志田 http://kurozurestaurant.com/
〒899-4501 鹿児島県霧島市福山町福山字大田311-2
電話番号 0995-55-3231
営業時間 8:30 - 17:30(3月1日〜11月30日)
冬季営業時間(12月1日〜2月末) 8:30 - 17:00
霧島市で活動する農業青年クラブ(飛翔クラブ)が伝統野菜の国分大根を平成19年頃から約5年かけて復活させました。大正時代、霧島の地で盛んに作られていた国分大根、赤紫の色が特徴で根の部分が土の上に露出していたことから別名「飛び上がり大根」とも呼ばれています。
その昔、西郷隆盛も「国分大根」の栽培に力を注いでいたそうです、農業青年クラブで国分大根を復活させる際、他の大根と交雑していたものを複数年栽培と選伐を繰り返し、品種の安定に努めました。その同じ工程を西郷隆盛らも行っていたという話も残っています。
その貴重な国分大根は、収穫時期になると地元国分のじょうもん市場で販売されることもございます。
[西郷さんの崖]
当時は旅館もなく農家の龍宝伝右ヱ門宅の表座敷を借りて家人と同様に飲食され、時間があればここの崖の下に筵を敷きわらじを作っていたそうです。参考文献「日当山温泉南洲逸話」「西郷どんを語る」
釣り好きで有名な西郷隆盛は、日当山に訪れた際には天降川で釣りを楽しんでいたそうです。
[日当山温泉センター]
〒899-5116 鹿児島県霧島市隼人町内1458
TEL:0995-42-6854
住所:鹿児島県霧島市隼人町内1487-1 電話番号 0995-42-5880
営業時間:9:00~18:00 年中無休
西郷どんの宿
西郷隆盛が日当山温泉で湯治をしたときに宿泊したのが、龍宝家です。その建物は湯之元の大火(昭和39年12月16日)で焼失しました。現在の「西郷どんの宿」は、龍宝家を復元したものです。
日当山温泉は天降川の両岸に広がっています。「湯本大権現碑」によると、永仁元(1293)年に温泉が発見されたと記されています。現在の西郷どん湯は、文政八(1825)年に発見されたいといわれ、新村新三と龍宝権右ェ門が湯守でした。西郷さんは、この日当山を十数回訪れ、温泉や狩り、釣りを楽しみました。
西郷どん桜の並木道
毎年、春になると満開の桜が咲き乱れます。一見の価値があります。
西郷どんの一ッ葉
西郷どん(西郷隆盛)が、日当山温泉を訪れたときに馬をつないだといわれる一ッ葉(イヌマキ)です。当時は、龍宝伝右ェ門宅にありました。
薩摩鹿児島の偉人西郷隆盛翁が生前国分の地をよく訪れられそのたびにて愛でられた茶菓子がありました。「まことに美味なる菓子角なる菓子だから角まんじゅうと名づけられたらよかろう」と百余年前西郷隆盛翁みづから「角まんじゅう」と名づけられた国分の銘菓です。(国分郷土史より)
それ以来名付け親西郷先生の愛でられた「角まんじゅう」は虎屋本店初代八太郎より現五第目に至るまで真心こめた手づくりの味ふるさとの銘菓としてつくり続けられ百年後の今日も広く郷土や全国の皆様に愛され御賞味願っております。
[霧や櫻や]
〒899-4343 鹿児島県霧島市国分野口西456−1
TEL:0995-46-1117
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